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川崎大師へ 護摩 お札納め [スピリチュアル]

 今日は1月最後の日曜日、川崎大師へ初詣?と云うわけではありませんが、お札納めと護摩のために行ってきました。
 池袋駅から山手線で品川駅まで行き、品川駅から京急線で京急川崎駅で大師線に乗換え三つ目の駅が大師駅です、ここから10分ほど歩きます。川崎大師のご本尊は弘法大師空海上人が祀られているところです。
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※ご本尊が祀られている大本堂
 1月も下旬というのに、写真でご覧頂くとお分かりかと思いますが、人で溢れ帰り参道のお店も大変賑わっていました。普通、お寺参りというとお年寄りというイメージが定着していると思いますが、参道も護摩でも、若い男女の姿が結構多く見られました。
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※お店の看板からお分かりかと思いますが、“せき止め飴”が名物のようです。
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※参道より大山門を眺める
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※大山門より参道を眺める
川崎大師の歴史 今を去る880余年前、崇徳天皇の御代、平間兼乗(ひらまかねのり)という武士が、無実の罪により生国尾張を追われ、諸国を流浪したあげく、 ようやくこの川崎の地に住みつき、漁猟をなりわいとして、貧しい暮らしを立てていました。兼乗は深く仏法に帰依し、とくに弘法大師を崇信していましたが、 わが身の不運な回り合せをかえりみ、また当時42歳の厄年に当たりましたので、 日夜厄除けの祈願をつづけていました。

 ある夜、ひとりの高僧が、兼乗の夢まくらに立ち、「我むかし唐に在りしころ、わが像を刻み、 海上に放ちしことあり。已来未(いらいいま)だ有縁の人を得ず。いま、汝速かに網し、これを供養し、功徳を諸人に及ぼさば、汝が災厄変じて福徳となり、諸願もまた満足すべし」と告げられました。

兼乗は海に出て、光り輝いている場所に網を投じますと一躰の木像が引き揚げられました。

それは、大師の尊いお像でした。 兼乗は随喜してこのお像を浄め、ささやかな草庵をむすんで、朝夕香花を捧げ、供養を怠りませんでした。

 その頃、高野山の尊賢上人が諸国遊化の途上たまたま兼乗のもとに立ち寄られ、尊いお像と、これにまつわる霊験奇瑞に感泣し、兼乗と力をあわせ、ここに、大治3年(1128)一寺を建立しました。そして、兼乗の姓・平間をもって平間寺(へいけんじ)と号し、御本尊を厄除弘法大師と称し奉りました。これが、今日の大本山川崎大師平間寺のおこりであります。

 法灯をかかげて、悠久ここに880余年、御本尊のご誓願宣揚と正法興隆を目指す根本道場として、川崎大師平間寺は、今、十方信徒の心からなる 帰依をあつめています。(※川崎大師WEBページより) 

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※ご本尊の前でお護摩の始まりの様子
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お護摩の功徳 お護摩のご修行は、奥深い内容を秘めた哲学的な意義と、真言宗という、正しい密教の教理に裏付けられた荘厳な宗教儀式です。

お護摩とは、梵語でホーマ(homa)といい、〈焚く〉〈焼く〉などの意味をもつことばで、仏の智慧の火を以て煩悩(苦の根元)を焼きつくすことを表します。

 お護摩は、御本尊のご宝前に設けられた護摩壇の周囲に香華をはじめ五穀、お供物をそなえ、斎戒沐浴して心身を浄めた導師が、中央の炉の中に護摩木を焚いて、御本尊厄除弘法大師さまのご供養をすることにはじまる、きわめて厳粛な秘法です。
合掌して、お大師さまのご宝号「南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)」をお唱えください。

このお護摩によって、皆様の煩悩を焼き浄め、大厄を消除し、すすんで家内安全、商売繁昌、病気平癒、心願成就など、開運の祈願をなされますことをおすすめいたします。

(川崎大師WEBページより)

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