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わが家に再び愛犬がやって来た!わん・ワン・ONE! [愛犬]

先週水曜日(1/25)に愛犬が再びやって来ました。犬種はチワワで名前は「You(ゆう)」と名づけられました。この名前の由来は、ダルビッシュ・有からもらったと妻が申していました。私は今回の愛犬の購入に関しては殆んどノータッチでしたので、名前も妻が娘と一緒に考えたものでした。

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私は殆んどノータッチだったのも関わらず、ただ一つこだわったのは犬舎に関してでした。妻と娘は、ペットショップのカタログにあった樹脂製の犬舎を気に入っていましたが、私は自然の木を多用した犬舎をアマゾンで探して、購入することにしたのです。
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生後2カ月あまり、歯の成長も早くまた鋭くなった今、ヒトの指などを甘噛みすることが多くなりました。とにかく何でもかんでも噛んだり引っ張ったりする癖があります。そのしぐさは何ともいえない可愛さがあり、心が癒されます。
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 愛犬「プリン」が旅立ってから4年半、沈んでばかりいた妻にやっと笑顔が戻りました。ペットの癒し力は理屈では説明できない不思議なものがあります。
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愛犬が我が家に来てからちょうど10日が経ち、わずかな間にこの小さな命は想像を超える速さで知恵が付き、運動能力が飛躍的に向上し、冒険心が強く行動範囲がみりみる広がりました。
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愛犬“ぷりん”との思い出(3/3):永遠の別れ、ゆかりの地を訪ねて [愛犬]

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 愛犬“ぷりん”は、2007年7月15日、土曜日の雨の朝、家族に看取られてながら静かに逝った。それでも、苦しみを私達家族に見せまいと、「自分は元気だよ」という様子を必死に表そうとしていたので、顔に手を触れながら、「“ぷりん”!もうそんなに無理しなくても良いよ」と囁いたら、暫くして静かに息を引き取った。息を引き取った後の顔の表情は、とても穏やかそうに感じられた。13年と52日の生涯であった。
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※トロント日本語補修校の娘の友達と記念写真に“ぷりん”も参加
翌朝は快晴だった。“ぷりん”が好きだったものをいくつか一緒に箱に入れて車に乗せ、いつもの散歩道だった裏の雑木林に寄り道してから、東松山市のペットの葬儀場に向かった。ここでは亡くなった日に、個別の火葬を予約していたので、火葬場では私たちの家族だけで見守ることができて、“ぷりん”だけの骨を拾うことができた。
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※ニューマーケットの自宅前でのストリート・パーティに“ぷりん”も参加

 本や映画の「犬と私の10の約束」にもあるように、亡くなることが分かっているのであれば、もっと“ぷりん”と一緒にいる時間を作って過ごしたかった。
亡くなった後で考えたことだが、今まで何と取るに足りないくだらない理由で、“ぷりん”を家に残したまま外出したことが多かったことか、それがとても悔やまれてならない。
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※かって“ぷりん”が思い切り元気に走り回った自宅のそばの公園を訪れる(2008.3)

それにしても、“ドッグ・イヤー”とは何と残酷なことなんだろうか…。ペットショップで初めて“ぷりん”に出会った時は、まだ高校生だった2人の娘たちよりはるかに若いというより、生まれて3ヶ月足らずの子犬だった。 それが、やがては娘たちの年令を通り越して、還暦に近づいていた私達夫婦の年令さえも超えて、僅か10数年の間に、老いていく姿を目にするのは、最初から分かっていたこととは云え、それが自分たちの前に現実のこととして起こると、実に忍びない切なさがある。

◎追記(July1/2010)
 このドッグイヤーの残酷さを克服するには、一日一日、一瞬一瞬を大事にして、愛犬と付き合うことで、愛犬にとっても私たちの人生にとっても悔いのないものになるのではと思われる。
 一日も、一月も、一年も過ぎてしまえば、驚くほど短かく感じるが、一日の中の一瞬一瞬に向かい合っていると、何か不思議な永遠性を感じる時がある。
 地球や宇宙の永遠性と、人間の100年の寿命を比較すると、人間から見たドッグイヤー以上に、人間の命は瞬くほどの短い命に過ぎないのだから…。
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※ニューマーケットの外れにある遊歩道“Rogers Reservoir Conservation Area”の昔と今

  愛犬“ぷりん”が私たち家族の前から去って、やがて3年の歳月が経とうとしている。
でも“ぷりん”は、何時も自分の傍にいて、両足を前に突き出して座り、顔を横に傾げながら、じっと見守ってくれているような感じがするのである。
カナダ駐在時の生活も、全く見知らぬ土地である埼玉県での生活も“ぷりん”がいたからこそ、私たち家族がばらばらにならず、何とか繫がって来れたのだと確信している。
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※かって“ぷりん”と暮らしたカナダの自宅前のサイドウオークにて

 “ぷりん”が私たち家族と永遠の別れを告げ旅立った翌年3月、私と妻は私たち家族の第2の故郷でもあるカナダ・オンタリオ州・ニューマーケットに“ぷりん”ゆかりの地を尋ねる旅に出かけた。そこはあたり一面の雪景色で、冬の厳しい寒さが出迎えてくれたが、厳しい寒さの中にも“ぷりん”の暖かい息づかいが感じられた旅であった。

 最後に、「犬と私の10の約束」川口晴著(文藝春秋)を掲載させて頂きます。

1. 私と気長につきあってください。
(Give me time to understand what you want of me.)
2. 私を信じてください。それだけで私は幸せです。
(Place your trust in me. It's crucial to my well-being.)
3. 私にも心があることを忘れないでください。
(Be aware that however you treat me I'll never forget it.)
4. 言うことをきかないときは理由があります。
(Before you scold me for being lazy, ask yourself if something might be bothering me.)
5. 私にたくさん話しかけてください。人のことばは話せないけど、わかっています。
(Talk to me sometimes. Even if I don't understand your words, I do understand your voice when it's speaking to me.)
6. 私をたたかないで。本気になったら私のほうが強いことを忘れないで。
(Remember before you hit me, I have teeth that could hurt you, but that I choose not to bite you.)
7. 私が年を取っても、仲良くしてください。
(Take care of me when I get old.)
8. 私は十年くらいしか生きられません。だからできるだけ私と一緒にいてください。
(My life is likely to last 10 to 15 years. Any separation from you will be painful for me.)
9. あなたには学校もあるし友だちもいます。でも私にはあなたしかいません。
(You have your work, your entertainment, and your friends. I have only you.)
10. 私が死ぬとき、お願いです、そばにいてください。どうか覚えていてください、私がずっとあなたを愛していたことを。
(Go with me on difficult journeys. Everything is easier for me if you are there. Remember I love you . . .)

(10の約束とは)
犬の立場から飼い主にしてほしいと願う事柄を列挙した作者不詳の短篇詩「犬の十戒」がいま、世界中で静かなブームを呼んでいます。この詩をヒントに生まれたのが「犬と私の10の約束」という物語です。
※「犬と私の10の約束」と「10の約束とは」は、ホームページからそのまま転載させて頂きました。


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愛犬“ぷりん”との思い出(2/3):母国カナダを離れて、異国の日本へ [愛犬]

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※埼玉県武蔵丘陵森林公園、ドッグランにて
 
 “ぷりん”は1997年9月19日朝、トロント空港第3ターミナルのチェックイン・カウンターで、私たち家族と別れた。ゲージに入れられて貨物扱いの類いだが、ペットは特別扱いとのことであった。飛行中は睡眠剤を注射されて、眠ったまま運ばれたようだ。約15時間の空の旅を終えて、成田空港に着いた。イミグレーションで入国手続きを終えた後、“ぷりん”を引き取り、しばらく空港の外で散歩させた。足は少しふらつき気味だったが、長旅の後にも関わらず、元気に歩いてくれた。短い散歩の後、再び検疫のために2週間の辛い別れが待っていた。
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 その間に私たちも、新しい赴任地で2週間のホテル暮らしの後、社宅に入る予定だったが、日本はカナダと違って、ペットに対しては何処も厳しく、適当なところがなかなか見つからなっかた。その間に“ぷりん”の2週間の検疫期間が過ぎ、まだ川越でホテル暮らしの最中で、不安を抱えたまま成田空港の検疫所まで引き取りに行った。“ぷりん”の元気そうな姿を目にして、私たちの今までの不安はわずかな間だが消え去った。検疫所の周辺をしばらく散歩させた後、再びゲージに入れて京成電鉄のスカイライナーに乗せ、山手線の日暮里駅まで行き、日暮里から山手線で池袋まで、池袋から東武東上線で川越まで行った。約3時間近くに及ぶ電車の移動も、“ぷりん”にとっては過酷な旅であったことは明らかであった。電車の移動中は、ゲージの中だったので、抱いてやることも出来なかった。川越駅で下車して、西武新宿線の本川越駅近くのペットショップまでゆっくり歩いた約20分の散歩も“ぷりん”にとっては恐らく不十分で、今までのストレスを解消するには至らなかったと思う。
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 ペットも一緒に住める社宅を探すのは容易ではなく、自分たち人間の都合だけで、日本へ帰国してから、こんなにも“ぷりん”を苦しめることになるとは、想像もしていなかったことであった。いっそのこと、会社に再転勤願いを出して、亀山市の自宅に戻れたら、どんなにいいだろうかと思った。
“ぷりん”が空港から川越に来てから数日後、幸いにも所沢市北秋津にアパートが見つかった。(※“ぷりん”の思いが通じたのかも知れない。)カナダの自宅に比較すると、ガレージの広さにも満たない狭い3DKのアパートだったが、これから“ぷりん”と過ごせるだけでも幸せだった。アパートに引越し荷物を入れた後、川越のペットショップに“ぷりん”を引き取りに行った。その時ペットショップの主人は、「“ぷりん”君はストレスが最高に溜まっており、今日が本当に限界でした」と言った。本川越から所沢まで西武新宿線に乗り、北秋津のアパートまでゆっくりと歩いた。アパートに着くなり、“ぷりん”は部屋中を不思議そうな顔をして、歩き回っていた。
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 幸いにも北秋津のアパートのすぐ傍が、武蔵野の名残を残す広い雑木林だったので、散歩にはとても最適だった。また会社が休みの時は、航空公園まで車に乗せて連れて行き、他の犬と一緒に芝生の上を走り回らせることができた。
 北秋津のアパートには、約半年住んだ後、川越に自宅を購入した。ここは西武新宿線の南大塚駅から歩いて5分の距離で、所沢以上に環境は良くすぐ裏に広い雑木林があり、小さな川も近くに流れていた。前の道路も車道と歩道がツツジの植え込みで分離され、10m間隔でプラタナスやケヤキ並木が続いていた。休みの日は時々、荒川の支流にあたる入間川の土手を歩きながら、冬の日の晴れた日には、川の上流方向に富士山を眺めることもできた。
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※入間川の土手を散歩、前方は早春の富士山
 
 私たち家族は、埼玉県は初めての場所で、会社以外の知人は全くいなかった。しかし散歩を通じて、“ぷりん”が取り持つ縁で、隣人たちとずいぶん知り合いができた。その恩恵を最も受けたのは、毎朝毎夕散歩をさせていた妻だったかも知れない。私も会社の休日に、“ぷりん”と散歩をしていると、道行く人から「あなたは“ぷりん”ちゃんのお父さんですか?」と声をかけられたことが何度かあった。
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※気がつくと、奈良から遊びに来ていた孫娘“綺星”の横で沿うように寝ていた
 
 “ぷりん”は異国の地、日本の所沢と川越で9年と2ヶ月を過ごしながら、老いを迎え次第に体力の衰えが、見た目で感じられるようになった。そして、2007年7月1日の朝、南台公園を妻と散歩中にバッタリと横に倒れたのであった。それから2週間は病院通いを続けながらも、時には良くなる様な兆しも見せ、私たちに微かな希望を抱かせてくれていた。倒れた後でも、妻が傍にいるとすっかり筋肉が落ちた手足で、ソファやベッドに飛び乗ったりして、元気であることを見せて、安心させようとする健気なしぐさがもの悲しくもあった。

※「愛犬“ぷりん”との思い出③永遠の別れに」続く
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愛犬“ぷりん”との思い出(1/3):偶然の出会い、新しい家族の一員として [愛犬]

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(はじめに)
  “ぷりん”はカナダのトロントで、1993年の夏に私たちの家族の一員となり、1997年の秋に日本に来て、2007年の夏に私たちに永遠の別れを告げて旅立ってしまった。
  私は以前から、“ぷりん”と一緒に暮らした13年余の様々な出来事を備忘録として、私の記憶から消え去らないうちに、何らかの形で書き残しておきたいと思っていた。長い間一緒に私たちと付き合ってもらった“ぷりん”への「ありがとう」の感謝の気持ちを込めて…。
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 愛犬“ぷりん”は、1993年8月に私たち家族の一員となった。トロントのショッピングモールのひとつであるYorkdale mallの中にあるペットショップで、妻と子供が友達である同じ会社の駐在員の奥さんと娘さんに連れて行ってもらった時に、出会ったそうである。何匹もいる子犬の中で、何となく気が惹かれたのが、これから何年も生活を共にするであろう“ぷりん”との偶然の出会いであったのだ。

※ “ぷりん”という名前の由来について: 次女が名付け親で、白と薄茶のまだら模様から、キャラメル色のプリンのイメージと重なったので、“ぷりん”にしようと言ったのが始まりです。オス犬でありながらメス犬のような名前になってしまいましたが、カナダの隣人からも日本の隣人及び道行く人々からも“ぷりん”、“ぷりん”と呼ばれ、愛され続けられました。
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 我が家に来た最初の頃は、お互いに何が何だかわからなくて、コミュニケーションの術が分からないままに、ドタバタの日々が続いていた。我が家での最初の夜は、地下室の一角に囲いを造って、そこへ“ぷりん”を入れておいた。つまり、私たちの寝室と一番離れたところに寝かせようとしたのである。すると、夜中にクンクンと悲しそうな泣き声を立てていた。翌日は、あまりにも可哀想だったので、寝室の下のダンドリー・ルームのフロアーにやはり囲いを造って、その中に入れておくことにした。でも結果は同じで、悲しそうな泣き声と共に、小さいながらも必死になって、その囲いを飛び越えようとしていた。それで仕方なく囲いから出してやると、階段をよちよち昇って、自分たちの寝室の中へ入って来て、安心したかのようにベッドの下で横たわっていた。
 数日後、私がベッドに入ると、必死に自分に向かって吠え続けた。どうして自分に向かって吠え続けるのか、訳が分からず、うるさいので何度も手を振り上げながら、追い払う仕草をした。それでも少しは引き下がるものの、やはり吠え止まなかった。それで、今度は抱き上げてベッドの上にあげてやったら、急に吠え止んで静かになった。その時に感じたのは、やはり人間のそばに居たいのかなあと思った。
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 “ぷりん”とのカナダ生活の中でのエピソードはとても数多くて、一つひとつ取り上げていたら、とてもきりがない。その中でただ一つだけ、このプログに載せるきっかけとなった事件の思い出がある。
 
 “ぷりん”は仔犬の時から、散歩がとても好きだった。その日も休日の朝で、長い散歩の帰りで自宅に向かう途中の信号の無い交差点で、車が通り過ぎるのを待っていた。いつもはGo & Stopの指示を忠実に守るのであったが、この日はどういう訳か左側から車が来ているにもかかわらず、道路の反対側を目指して急に飛び出し、センターライン付近で小型トラックに巻き込まれてしまった。巻き込まれた瞬間、「キャン」という鳴き声だけが聞こえて、後は静かになった。
 その時自分は、これは完全にダメだと感じ、恐る恐る目をセンターラインに目を向けた。車が通り越した後のセンターライン上の“ぷりん”の姿は確かにあった。当たり前のことだが、全く動かなかった。けれども自動車事故に会ったにしては、少し様子が違うように感じられた。その様子は誰にも信じられないと思うが、センターライン上に誰かがそっと置いて、そこで眠っている様な感じだった。
 でも間違いなくダメであることを感じとりながら、両手でそっと抱き上げ、家に向かった。家までの距離は、歩いて5分ぐらいだったと思われるが、“ぷりん”を抱えた手の感触は、幾分温かい感じだった。家の扉を開くなり、妻に「“ぷりん”が車に轢かれてしまったよ!」と叫ぶ様な感じで言ったと思ったが、妻は信じられないという様子で、ただ、ぼう然として無言のままだった。
 そして、両手で抱きかかえていた“ぷりん”をそっとフロアーの上に置こうとした。すると、今まで微動だにしなかった“ぷりん”がスルリと両手から抜けて、家の中を走り回ったではないか。自分でも全く信じられなくて、しばらく呆然として“ぷりん”が走り回るのを、ただ目で追っているだけであった。それから多少落ち着きが出てきて、“ぷりん”を捕まえてから、何処をどんな風に怪我しているか確かめることにした。
 外傷は右目の眉毛の上辺りに長さで2センチほどの浅い傷と、右前足の薬指に当たる爪が取れかかってグラついているだけであった。念のために動物病院に行って、頭部を始め全身CTスキャンで検査してもらったが、全く異常は無いとのことだった。自分はこの時、“ぷりん”は何かの見えざる力によって、奇跡的に助けられて、生かされたのだと確信した。
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 それから、約4年間のカナダ生活をした後、1997年9月19日に生まれ故郷のカナダを後にして、日本へ旅立つことになった。

※「愛犬“ぷりん”との思い出②母国カナダを離れ、異国の日本へ」に続く
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