1万日登山 挑んだ勇姿 全国で写真展~東京新聞(夕刊)から~ [尊敬する人]
五十九歳から連続一万日の登山に挑み、九千七百三十八日の記録を残して昨年末に八十六歳で亡くなった三重県伊勢市の東浦奈良男(ひがしうらならお)さんを追った写真展が、名古屋市中区のナディアパークの登山用品店「モンベル」で開かれている。今後、全国のモンベル各店を巡回し、都内でも十月に町田・グランベリーモール店、十一月には渋谷店で開催予定だ。 (河郷丈史)
白州正子 生誕100年特別展〈神と仏、自然への祈り〉~世田谷美術館~を観て [尊敬する人]
鉄人の紹介 “東京マラソン 八十路へ 挑戦は続く” 東京新聞(2/10夕刊)の記事から [尊敬する人]
マラソンを始めたのは四十歳だった。長男が小学校に入ってサッカーを始めたのに合わせ、保護者もサッカーチームをつくったのがきっかけ。大学卒業後、都内の製缶会社に勤め、スポーツとは無縁の生活を送ってきたが、走ることに喜びを見いだすまで時間はかからなかった。「走るとは、人間の移動手段の原点。体力維持にもなるのが魅力です」
四十六歳で初めてフルマラソンに挑戦した。一九七八年、東京都東大和市で開かれた市民マラソン大会だった。以来、二十回以上の大会に出場した。百キロマラソンにも四回挑み、完走している。
東京マラソンは二〇〇八年以来、三年ぶり二度目となる。「前回が最後のつもりだったが、八十歳になる区切りでもう一度走ってみたくなった」と笑う。前回記録に二十五分足した六時間三十五分台での完走が目標だ。
(2011年2月10日 東京新聞)
鉄人の紹介 “フルマラソン 100日 連続完走へ” 東京新聞(1/8夕刊)の記事から [尊敬する人]
東京新聞(1/8夕刊)で、フルマラソン(42.195km)を連続100日間完走した人について、掲載された記事がありましたのでご紹介いたします。この渡辺富夫さんは66歳ですがとても元気で、健康だから可能なのだと思います。
この記事に関連して、私の座右の書“成功の9スッテップ”(ジェームス・スキナー著)の「無限健康を手に入れる(健康)」のページで、下記のような記述があります。
健康に関して私がモデリングしている人のひとりに、スチュー・ミトルマンという人がいる。彼は11日間で1580キロを走り続けた驚異的な男である。(1日フル・マラソン3回、11日連続だと思っていただければ、そのすごさはすぐに理解できるだろう。)彼の秘密は?脂肪である!
脂肪の中に蓄えられるエネルギーを開放する方法を学べば、いつでも無限なエネルギーをもつことができる。そしてそれこそ私が提案しようと思っていることだ。
おそらく渡辺富夫さんも、常識に囚われない食生活などの秘密を持っておられることと思います。ですから私たちも、渡辺富夫さんのような方の普段の生活を学ぶことによって、より健康な身体づくりが可能になるのではないかと、私はこの記事を読んで考えました。
四二・一九五キロのフルマラソンを百日連続で走り続ける-。そんな目標に相模原市南区の渡辺富夫さん(66)が挑んでいる。「ゴール」は九日。「つらくてやめようと思ったこともあった」と言うが、妻や仲間に支えられて積み上げた日々を振り返り、走る喜びをかみしめている。 (相模原通信部・藤浪繁雄)
九十八日目となる七日。本拠地にしている相模原公園(同区)のコースを、愛好グループ、相模原市市民走ろう会のメンバーらと四時間四十六分二十五秒で完走した。「脚は疲れているけれど、こんなものです」
三十四歳の時、趣味の山歩きの体力をつけようと走り始めた。内外のフルマラソン大会に出場。土木建設資材会社を退職後の昨夏には、北海道内の約千キロを二週間で走る大会で完走し「自信がついた」。次の目標として「百日連続フルマラソン」を思い立ち、昨年十月二日にスタート。マラソン経験がある妻幸子さん(64)ですら、初めは「何てことを始めたのか」と驚いた。
妻に加え、所属するフル百回楽走会(神奈川県平塚市)や相模原市市民走ろう会のメンバーらが完走を証明するため、一緒に走ってくれた。コース途中に給水所を設けたり、寒空の下、走り終わった後に甘酒を用意してくれたりする人もいた。
月、水、木曜は平塚市内を、火曜と金曜は相模原のコースを走った。土曜は主に皇居外周(一周約五キロ)コースのレースなどへ、日曜は各地の大会に出て記録を重ねた。
マラソン大会の毎日。スタート間もない昨年十月下旬には「重圧につぶされそうになった。休みがほしいと思った」。それでも仲間の応援に奮い立ち、雨が降っても寒くても朝が来たら気持ちを切り替えた。
国内で五十二日間、フルマラソンを走り続けた人がいると聞いていたが、それを上回ると「気が楽になった」。快走は続いた。
相模原市市民走ろう会副会長の御手洗寛さん(66)は「とにかくすごい。渡辺さんのサポートをするうち、メンバーの走力もアップした」と喜ぶ。
八日は皇居外周を、「ゴール」となる九日はこれまで最も多く走った平塚のコースで締めくくる。走り終えるまで気は緩めないが、渡辺さんは「達成したらとりあえず休みたい」と笑った。
※東京新聞(1月8日夕刊)の記事を、そのまま掲載させていただきました。