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1万日登山 挑んだ勇姿 全国で写真展~東京新聞(夕刊)から~ [尊敬する人]

昨年、当ブログで鉄人、79歳の渡辺昌彦さんが東京マラソンに挑戦されるという記事とフルマラソン100日連続完走の渡辺富夫さん(66歳)を紹介いたしましたが、今日(Apr.12)の東京新聞夕刊で1万日登山を目指されながらも、達成目前で惜しくも86歳で他界された東浦奈良男(ひがしうらならお)さんを紹介させて頂きます。

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五十九歳から連続一万日の登山に挑み、九千七百三十八日の記録を残して昨年末に八十六歳で亡くなった三重県伊勢市の東浦奈良男(ひがしうらならお)さんを追った写真展が、名古屋市中区のナディアパークの登山用品店「モンベル」で開かれている。今後、全国のモンベル各店を巡回し、都内でも十月に町田・グランベリーモール店、十一月には渋谷店で開催予定だ。 (河郷丈史)
 
 東浦さんは、印刷会社を定年退職した一九八四年、天台宗の荒行「千日回峰行」の影響を受けて連続登山を開始。自宅のある伊勢市周辺の山を中心に、富士山にも出向いて二十七年間登り続けた。
 
 身長一五〇センチと小柄だが健脚で、自宅と山頂の往復六十キロを歩くことも。交通事故に遭って左脚を痛めたときは「次の日から登れんようになるかもしれん」と病院に行かず、二本のつえを両手でつきながら登った。
 
 五千日達成の九八年当時、本紙の取材に「いつまでできるか分からないが、一日一日を大切にしたい」と語っていた。昨年六月、体力が衰えて登れなくなり、半年後に心不全で他界した。
 
 写真展は、晩年の五年にわたり、東浦さんの登山に同行、撮影したフリーライター吉田智彦さん(43)=東京都狛江市=が企画した。
 
 八千日目の取材がきっかけ。「山に人生をかけて雨の日も風の日も登った。すさまじい精神力だった」と振り返る。
 
 吉田さんによると、東浦さんが登山に目覚めたのは会社勤めをしていた三十五歳のとき。家族で乗鞍岳に登り、山頂で眺めた白山の雄姿に感動したのがきっかけだ。
 
 吉田さんが登山を続ける理由を尋ねると、東浦さんは「亡くなった親類への供養」「両親への冥土の土産」と答えた。「妻にダイヤモンドを買うお金がないから、記録をプレゼントする」との気持ちもあったという。
 
 会場には、真っ黒に日焼けした鋭い顔つきの東浦さんの肖像や、背中を丸めてつえをつきながら、険しい山道を登る様子を収めた写真三十点が並ぶ。東浦さんが使い古した登山用パーカも見られる。
 
 吉田さんは「誰にもまねできないことをやり遂げた人。一つの目標を貫いた強い信念にふれてほしい」と話す。二十二日まで。観覧無料。
※平成24年4月12日(木) 東京新聞(夕刊)の記事をそのまま転載させて頂きました。

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