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ボランティアの力~東日本大震災 被災地支援ボランティアバスツアーに参加して~ [ボランティア]

 8月1日(月)~3日(水)の0泊3日の日程で、3.11東日本大震災の被災地のひとつである岩手県陸前高田市へ、瓦礫除去のための社団法人 狭山市社会福祉協議会主催の被災地支援ボランティアバスツアーに参加いたしました。

 被災地支援ボランティアは自己完結型が基本なので、移動手段とコスト、衣・食・住・健康管理・負傷対応など他に依存することなく、すべて個人で賄うことを求められているため、ボランティアの意志はあったとしても、個人で参加することが難しいのが現状です。

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◆遠野市総合福祉センター: 岩手県の被災地支援ボランティア基地です。団体でも個人でも受け入れていました。ここでは受付や被災地ボランティア作業のリーダーなどもボランティアで賄われ、テキパキと歯切れよく物事を進めておられました。特に地方から来られているボランティアとしてのリーダーは、信頼とエネルギー感に溢れ、私たちは安心して被災地での作業ができました。

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遠野まごころネット: 遠野市福祉総合センターの被災地支援ボランティアの運営母体です。
遠野まごころネットとは:

遠野市被災地支援ネットワーク『遠野まごころネット(遠野被災地支援ボランティア)』は、平成23年3月11日に発生した東日本大震災で被災した岩手県沿岸部の被災者の方々を支援するべく、遠野市民を中心として結成されたボランティア集団です。

岩手県沿岸部の三陸地方は、これまでの想像をはるかに超えた甚大な被害を受けました。長い歴史の中で、三陸地方と深い絆で結ばれてきた遠野郷の市民として、この困難を分かち合い、復興・再建に向けて、三陸地方の方々と共に行動することが求められています。

復興に向けた道のりは、長く険しいものになるでしょう。長期に渡る、物資および人的支援が必要になります。私たちは、沿岸地域への移動時間が1時間という遠野市の地の利を活かし、全国各地からのボランティアや支援物資等を受付けます。

(※遠野市まごころネットホームページより)←ここをクリックしてください。

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◆遠野まごころネットの掲示板: 受付と同時に団体、個人名が書き込まれ、被災地ごとに振り分けられます。被災地の瓦礫処理だけでなく、分ち合い隊、まごころ広場、ふれ合い隊、足場係、受付館内係、写真修復係などもボランティアの種類としてあります。
 また受付に確認したところ、私の本職である“指圧・あんま・マッサージ”などの手技療法なども、免許があることを条件に受け入れていましたが、今回は団体行動なので諦めることにしました。
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◆当日は、大槌町、釜石市、陸前高田市の3つの被災地にボランティアの瓦礫処理班は分けられ、私たちは陸前高田市で遠野からバスで約1時間半かかるところです。
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◆クラッシュ・ジャパン: 今までに耳にしたことがあるかと思いますが、海外の被災地支援受け入れ組織です。この日はロスアンジェルスから約20人ぐらいバスで来られていましたが、もちろん自費で来られている人々です。

◎クラッシュ・ジャパンとは: 

クラッシュジャパンは、キリスト教の団体であり東日本大震災で被災された方々の心に届くケアを目指して救援・復旧の活動をしています。

Christian = クリスチャン

Relief = 救援

Assistance = 協力

Support = 支援

Hope = 希望

この言葉の頭文字をとって、救助する教会と被災教会の橋渡しとしての役割を担います。そして、地域の教会を通して被災された方々を支援し、希望を伝えることを目的としている団体です。

(※クラッシュ・ジャパンのホームページより)←ここをクリックしてください。

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◆このような団体(日本財団 ROAD PROJECT)さんも来られており、私たちと同じ陸前高田市で瓦礫処理をされていました。この方は快くユニフォームの写真撮影に応じて頂きました。
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◆ボランティアの現地でのミーティング: リーダーも長期ボランティアの方です。陸前高田市班をさらに小さなグループに分かれて、作業の指示や熱中症、怪我、病気など注意、休憩時間の徹底、写真撮影への注意などをこと細かに説明されていました。またこの地域の区長さんも挨拶され、飲料水などを提供して頂きました。
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◆陸前高田市班は全てこの場所に集結しました。海とは全く関係なさそうな、四方を山で囲まれた場所ですが、跡形もなく津波の被害を受けた地域です。
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◆瓦礫除去の作業風景: 重機が出来ない部分を人の手によって、土に還らない瓦礫を拾って一ヶ所に集めます。道具はスコップ、一輪車、熊手、火箸、ツルハシ等ですが、殆んどが人の手で拾うものです。
リーダーの話では、ボランティアは重機が出来ない部分を人の手で補完する重要な作業で、重機と人の地味な作業の繰り返しがこれからも延々と続けなければ、復興はあり得ないと言っていました。
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◆この写真のように、海とは全く関係のない地形をした場所ですが、地元の人の話では大型重機の後方の山と山が重なった狭い部分から、突然津波が道路と川に沿って巻き込むような形で押し寄せて来て、波の高さが増幅されて一瞬にして村の殆んどを呑み込んでしまったそうです。
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◆海水で杉の木の一部が枯れて、葉っぱが茶色になっていました。
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◆ボランティアの前後: ここも津波で流された民家で、庭先に残った柿木も痛々しく魚網や流木、ビニールなどが、かなり上の方まで引っ掛かっていました(写真:左)。しかし、私たちのグループでそれらの瓦礫を完全に取り除きました(写真:右)。
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◆被災地支援ボランティアバスツアーのメンバー: ボランティア作業を終了してからの集合記念写真、安堵感と満足感、達成感が一人ひとりの表情に滲み出ていました。


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